福祉と医療・現場と政策をつなぐ「えにし」ネット・志の縁結び係−私が愛用している肩書です。深くて広い河で隔てられてきた福祉と医療、現場と政策の仲人をしたいという願いから始めました。
 縁を結ぷ手段はホームページ、メール、そして、年一度の「縁結びの集い」です。
 「えにしのホームページ」は次々と部屋を建て増ししていますが、玄関にあたるのが「高齢福祉政策激動の部屋」です。この″玄関?に、このところ立て続けに福祉用具と改正介護保険をめぐる情報を載せています。福祉用具普及の銀髪のパイオニア、和田勲さんの厚生労働省前?座り込み?も、メディアの先頭を切って、その夜のうちに写真入りでアップする、という熱の入れようです。
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 福祉用具に惚れ込んだ原点は1972年、医学担当記者として北欧を訪ねたときに遡ります。日本では見かけたことのない車いす姿の人々に街でしばしば出会うのです。そのひとりの家に案内されて私は、すっかり感動してしまいました。車いすに乗っていても料理ができるように、調味料を置く棚まで配慮された台所で、老婦人は誇らしげにいいました。
 「週末に息子が訪ねてきてくれるの。彼の好物を世界一上手につくれるのは、私」
 ストックホルムにある国立ハンディキャップ研究所を訪ねて、さらに感動してまいました。ここでは、世界中から情報を集め、「これは」というものがあると、早速買い求めて、障害団体に試してもらいます。これらの団体は機器開発・供給委員会に参加していて「こういうものがほしい」と情報を提供したり、新しい機器の情報を会員に知らせたりするカナメになっていました。
 ユーザーの評判がいいと、耐久テストをし、その上で製造元に「この点を改良するなら政府が大量購入するが」と注文をつけます。改良されたむのが届くと再びテスト。合格するとリストに載せ、必要とする人に無料で貸し出されることになります。
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 それから13年たち、厚生行政をカバーする論説委員になった私は、「西暦2000年には100万人になる」と当時いわれていた「寝たきり老人」のお世話の仕方を探しに高齢化の先輩国嘉ねました。そして、日本では行政用語や日常語になっている「寝たきり老人」という言葉や概念が日本以外の売渡国にほないことを″発見?しました。いったいなぜだろう、休暇のたびに貯金をおろし高齢化の先輩国を訪ね、まとめたのが、『「寝たきり老人」のいる国いない国〜真の豊さへの挑戦〜』(ぷどう社)です。
 第一革の「12の秘密」の中で最もたくさんのページを割いたのが、「秘密その7・補助器具センタ】は地下室がすごい」という節でした。小見出しはこんな風です。
 100種類の杖、3種類の電動車いす/女手ひとつで大男を持ち上げる/60年代から無償貸与に/リサインクルで何度も便う/当事者の提案をもとに。
 編集者兼代表と会計・発送担当の天人だけの超零細出版社のぶとう杜のことゆえ、宣伝広告も出せなかったのですが、クチコミで28刷のロングセラーとなりました。
 そして、第1章に書いたことは、「メニューとしては」、介護保険制度で実現することになりました。質や量については問題だらけなのは、本紙の読者のみなさまがよくよくご存じの通りですが。
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 朝日新聞の医療と福祉の社説を集めて本にしては、という思いがけない、ありがたいお申し出があり、『福祉が変わる医療が変わる〜日本を変えようとした70の社説+α』左再びぷとう社から出していただいたのは96年のことでした。
 社説づくりの内輪話、社説が出てその後どうなったのか、エピソードを書き込む企てです。この本には、次のような章が並んでいます。
 言葉は魔術/ぼけても誇りを/雑居はいやだ/障害者に迷惑な社会/役所が言葉で世を惑わせた/政党が少し変わった!/省庁の若手が変わった!/自治体が変わり始めた!/障害者は高齢社会のの水先案内人/さよなら70年式日本型福祉……。本紙のコラムでおなじみの後帯芳一さんは、「省庁の若手が変わった!」に登場しますもちろん、「補助器具を眼鏡のように 美しくタイミングよく」という92年11月17日の社説も載っています。

シルバー産業新聞 2006年4月10日 より