築き上げたネットワークから新たな「えにし」を結び合う

 科学部次長を経て、一九八四年に朝日新聞社初の女性論説委員となった由紀子さんは、医療、福祉、科学、技術分野の社説を担当。翌年夏、日本よりはるかに早く高齢化の進んだヨーロッパの国々を取材に訪れ、「寝たきり老人」という概念がないことに大きな衝撃を受けた。
「日本なら『寝たきり』 になっているはずの人々が、お酒落して、車椅子や歩行器で歩いている姿にヨーロッパ各地で出会って、起こしてくれる人がいない『寝かせきり』が、お年寄りや病人を『寝たきり状態』にさせていることを発見したのです。それからは、老後の蓄えを切り崩しては世界各国の医療と福祉の取材を続け、どうやったら日本の問題を改善し、老いても、病んでも、障害を持っても、皆が輝いて生きられる社会をつくっていくことができるのか、そのために何をすればいいのかを、さまざまな場で発信することに努めてきました」

 一九九〇年に出版された由紀子さんの著作『「寝たきり老人」のいる国いない国』は、政府の施策にも影響を与え、"日本の福祉を変えた本″と呼ばれている。
「新人記者の頃、上司が 『ここに記される名前と連絡先がきみの財産だ』と言って、黒革の表紙の手帳をくださいました。記者生活の中で巡り会い、取材に力を貸してくださった方々のお名前は、そのアドレス帳からどんどん広がって、退職するときには三千近くになっていました」

 二〇〇一年五月、由紀子さんがかかわってきた福祉・医療分野の当事者および支援のネットワーク、自治体、厚生行政、朝日新聞社の総勢六十人が呼びかけ人となって、「由紀子さんの旅立ちをお祝いし、新たな緑を結ぶ会」が開かれた。すでに三月末に朝日新聞社を定年退職し、四月から大阪大学大学院人間科学研究科教授としてボランティア人間科学講座ソーシャルサービス論を担当していたが、そこで各分野から集まった由紀子さん縁の四五〇人が結ばれ、新たな出会いをつなぎ合わせるためのネットワークが生まれた。
「医療と福祉、さらに福祉の各分野の人人が知り合っていないこと、現場と役所、研究者、ジャーナリストがつながっていないことを何とかしたいという思いから『福祉と医療、現場と政策をつなぐえにしネット』が動き始めました。二〇〇一年から毎年一回、志の縁を結ぶ集いをするとともに、日頃はホームページから情報発信したり、二千八百人の同志に新聞、テレビに載らない情報を送信したりしています。私は、困難にめげず、各自の場所で、目の前の状況を変えようとしでいる人たちの志の縁結び&事務役として、これからも、皆で日本の社会を少しでもいい方向に変えていくためのお手伝いをしていきたいと思っています」

 二〇〇四年に国際医療福祉大学大学院教授となった由紀子さんは、医療や福祉の専門家が病気を経験した人から学ぶ「でんぐりがえしプロジェクト」を実施した。教え子から(先生ではなく)「ゆきさん」と呼ばれ、今や六千人が記された電子アドレス帳を駆使して人と人を結び合わせる魔法の使い手(魔女!?)は、偏見や差別に敏感で、いつも「なぜ?」と考えていた子供時代の瑞々しい感性を芯に宿したまま、人の強さと弱さを見つめ、喜びと悲しみを受け止めながら、きっと「変えられる」ことを信じている。